
鈴鹿ラウンドが終了した時点で、当チームのランキングは3番手につけている。トップは81号車のGT-Rで14.5ポイント、2番手につける24号車のGT-Rとは1ポイント差だが、最終戦のオートポリスに24号車は姿を見せていない為、当チームは完走した時点でランキング2位に浮上する。チャンピオンになるには当チームが2位以上で24号車がリタイア……。
しかし、木曜日から走り込んでいるTANIGUCHI だが、ベストは1分53秒台……と、タイムが伸びずにいた。峰尾の走行データからタイヤの内圧を変更。早めにアタックするように指示する。TANIGUCHIもシフトするタイミングなどを変更しながらの2ラップ目に51秒台、さらにクリアになるのを待ってアタックした4ラップ目には50秒台までタイムを縮めるばかりか、当面のライバル13年型BMWの前でチェッカーを受けた。Aドラバーによる予選で0.9秒の遅れを取っていたが、TANIGUCHIは1秒強ほど上回っていた為、2番手に浮上し、目標だった最前列を獲得した。ただ、この時点で81号車がポール賞の1ポイントを獲得、ポイント差は15.5ポイントと広がり、当チームが逆転チャンピオンになるには優勝が最低必要と一段と厳しくなった。
結局、今回は乗車時間が制限されているプラチナドライバー登録の飯田をスターティングドライバーに起用して挑むことにした。サポートレースなどもあり、決勝が始まる頃には、路面(明け方まで雨が降っていた)も乾くと思えたが、意外に時間がかかり、ハーフウェット状態までしか回復していなかった。とはいえ、全車、ドライ用タイヤを装着。午後1時20分過ぎ、路面温度18℃、外気温度15℃というコンディションの中、ローリング始まった。
富士ラウンドのときのように、飯田が81号車のGT—Rに大きく引き離される事なく追いかけ、プレッシャーをかけるのが狙い。結果的にこの作戦がズバリ的中。81号車にしてみれば、完走さえすればチャンピオンが決まるだけに無理はしない。スタート直後には2秒以上に広げられた差を飯田は、5ラップ過ぎには背後に忍び寄りテール・トゥ・ノーズに持ち込む。10ラップ過ぎにはトップに躍り出る。この勢いで逃げたいところだが、圧倒的な速さを持つGT-Rを離すまでには至らなかった。
31ラップを走り切ったところで飯田がピットに滑り込んできて、そのまま頭からガレージにマシンを入れてしまった。フロント側サスペンションのトラブル。この時点でチャンピオンの夢が消えるばかりか、確実と言われているランキング2位も遠のく。スーパー耐久の場合、チェカーを受けないと完走扱いにはならない。さらに義務周回数(同クラスのトップが走った周回数の70%)をクリアしていないといけない。必死の修復作業が始まる。ピットではもしものときの為に修復準備はされているが、さすがにダンパー一式の交換は想定外。10分、20分と過ぎていく。50分強の修復時間。チェッカーまでの時間、走れるラップ数などを逆算していくと、かなり攻めていってもきわどいところだった。当初、予定していたTANIGUCHIではなく峰尾がステアリングを握ってコースに戻る。
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